こんにちは!トモママです。
今回は前回の続きです。
「自己受容と出会い」について書いていきたいと思います。
\ 前回の少々重たい記事はこちらから /
”自己受容”と出会ったセミナー
私は東なおこさんのセミナーに参加して、”自己受容”という言葉に生まれて初めて出会いました。
セミナーで得たことはこんなことでした。
(黄色背景の部分にかいつまんで解説を書き加えています)
他者受容は自己受容に比例する
自分以外の人を受け入れられない人は自分のことも同じように受け入れらないということ
例えば、子供が靴をはくのにモタモタしているのをみてお母さんがイライラするという場面でお話しすると、
お母さんがイライラしている時点で他者である子供のことを受け入れることができていない状態なんです。
それはつまりお母さん自身を受け入れられていない状態である可能性が高いということです。
注意すべきことは、イライラしてはいけない!と自分を責めないことです。
結構やってしまいがちなので、注意してくださいね。
この点の考え方は後々書いていきます。
他者受容は自己受容に比例するということを知った時、
ドーーーーーン!
と雷に打たれたような衝撃が走りました。
「私、夫にも子供にもめっちゃイライラしてるやん。ってことは、私は私を受け入れられてないんだ・・・」
自分を受け入れられていない、この気づきが私を変えていきます。
自己受容
自分自身のことをまるっと受けとめること、受け入れること
この”まるっと”というところがとても重要なんです。
なぜかというと自己受容をしたことない人は、「自分のいいところ」だけを受け入れていることが多いと思うからです。
私自身も自己受容に出会うまでは、
- 勉強できる私=⭕️
- 早起きできない私=❌
- 子供にイライラしてしまう私=❌
- イライラをぶつけなかった私=⭕️
こんな風に自分をいい・悪いという価値観で自分を評価し、❌が付いているものも私自身の姿なのに否定していました。
こんな状態で、自己肯定感を育むって無理があるんですね。
自己肯定感の定義についてちょっと調べていたのですが、こちらのサイトにこう書かれていました。
自己肯定感とは「自己を肯定する感覚」、つまり「自分は大切な存在だ」と感じる心の感覚です。
自分自身に❌をつけている状態で、「自分を大切な存在だ」と感じることってできるでしょうか?
少なくとも育児暗黒期の私にはできませんでした。
この「自分を大切な存在だ」と自己肯定感を感じるためにもっと先にしなければいけないことがあるんです。
それが、”自己受容”なんです。
”まるっと”という言葉が大事であることは先に述べましたが、
自己受容がどういうことなのか私の言葉で書いてみたいと思います。
自己受容とは、
私が感じていることを、思っていること(私のあり方)を否定せずそのまま受け入れること。
自分のことを知って自分を認めていくこと。
自分のあり方を受け入れていくこと。
先の例でいうと、靴をはくのにモタモタしている子供に対してイライラしている場合、
「イライラしている自分」を受け入れるということです。
イライラしている自分を責めないでと書いたのはそのためです。
イライラしてもいいんです。
今私はイライラしている、という事実を認める、受け入れるのが自己受容です。
そして、そこからなぜイライラしているのかというところを見つめ直していくんです。
子供が靴をはくのが遅いと、どうしてイライラするのでしょうか?
約束の時間に間に合わないのでしょうか?
しゃがんで手伝うのがめんどくさいからでしょうか?
靴履くのにモタモタする姿を何度も見て、早く履けるようになって欲しいと思ったからでしょうか?
きっと理由は様々だと思います。
この理由はあなたがイライラした原因ですよね。
それすらも認めていくことが自己受容なんです。
例えば、”私は仕事の時間に間に合わなくなるからイライラしている”ということを受け入れていくことなのです。
これが、自己受容です。
自己受容をしていくと、全ての感情とその感情がが生まれ出た原因を受け止められるようになっていくんです。
今こうして記事としてかけるのも自己受容と出会って2年経ち、これが自己受容だと掴めた出来事があったからです。
自己受容できていると私自身が体感できたから書くことができています。
自己受容を経て”育児暗黒期”と命名するほど苦しくて辛くてしんどかった私の育児は明るいものに変わりました。
子供達が変わったからでしょうか?
夫が変わったからでしょうか?
どちらも違うんです。
私が変わったからです。
私が私自身のあり方を受け入れられるようになったから、他者である子供達や夫のあり方を受け入れられるようになったのです。
詳しい自己受容の仕方や私が変化していく過程については、別の記事で綴っていきますね!
人生の舵取り
自分の船(人生)の船長は自分自身。
子供の船の舵をとろうとしてはいけない。
夫の船の舵を取ろうとしてはいけない。
私の船の舵を他人に託してはいけない。
これは”コントロール”のことです。
私たち親っていうのは、子供のことをコントロールしたくなる生き物です。
ちょっと考えてみてください。
あなたが子供だった頃、親からのコントロールをどう感じましたか?
- あなたはこうあるべきだ。
- あなたがそうすることは間違っている。
- お姉ちゃんでしょ
- お兄ちゃんでしょ
- 男なんだから
- 女なんだから
そう言われるたびに、コントロールされていると感じるたびに、反発したくなっていたのではないでしょうか?
私にももちろんありますよ。
”あのお友達とは付き合わないで欲しい”
”あの人とお付き合いするのはやめなさい”
こんな風にコントロールされるたびに「うるさい!」「やめて!」「勝手に決めないで!」「私が大切だって思った人は誰がどう言おうと大切なんだ」って思ってきました。
私の大切な人を親の価値観でジャッジ(判断)されることがものすごく嫌でした。
これは、親が子供である私の人生の舵を取ろうとしているということです。
では、こんな場面ではどうでしょうか?
お誕生日プレゼント何か欲しいものはある?と聞かれた時あなたはどう答えますか?
”なんでもいいよ〜”
”決められないから、決めていいよ〜”
”どうでもいい”
”何が好きなのかわからない”
”(私はそう思わないけど)芸能人のBさんがいいって言ってたから・・”
本当に欲しいものを言葉にできなかったり、欲しいものがわからなかったり、他人の意見を求めたりしていませんか?
自分の行動を決定する要因が自分以外の場所にあります。
自分の船の舵を他人に託そうとしている状態です。
育児暗黒期を振り返ってみると、
- 1人で着替えるべきだ
- 1人で寝るべきだ
- 家にいるとき静かにするべきだ
- 手伝われることなくお片づけができるようになるべきだ
- 私のいうことをきくべきだ
というタローへのコントロールで私の心は溢れていたように思います。
こう思っていると、タローがそうしなかった時、私のコントロール下から外れて行くんですね。
それは、私にとって不都合なわけです。タローをコントロールしたいのだから。
これは私がタローの船の舵をとろうとしてる状態です。
これでは、タローは彼らしい人生を歩むことはできません。
私がそれを邪魔しているんです。
セミナーでこの話を聞いた時に、
「夫に私の人生の舵を託そうとし、子供の船の舵を取ろうとしていた」
という事実に気づくことができました。
前回の記事で”髪色を茶色にすることを諦めた”と書きましたが、それって、夫のことを気にしてそれが決定打になって染めるという行動をしない選択をしたわけです。
それって私の髪色を変えるという選択を私の気持ち以外の要因で選んでるってことなんです。
これは、やっぱりおかしい・・・まずい・・・と思うことができました。
まとめ
セミナーに参加したことで大きく3つの概念と出会うことができました。
他者受容は自己受容に比例する
→夫や子供の行動や言動にイライラする=私が私自身を同じだけ受け入れられていないということ。
自己受容とは
→自分の心に湧き出た感情や思いをそのまま否定せず”まるっと”受け入れていくこと
人生の舵取りは他人任せにしてはいけない
→自分の人生をどう生きていきたいか(あり方)を自分で決めていけるということ。自分の人生の舵取りができる人は、夫や子供の人生の舵取りに干渉しない。
私は、当時お金に対してもものすごくマイナスイメージを持っていました。
このセミナーを受講したあと、東なおこさんのコーチングを受けることにしたのですが・・・決心するまでとても悩みました。
コーチングを受けるお金、どこから出そうかって。
お金がなかったわけじゃない、だけど、使うことに躊躇していました。
お金を使うことに罪悪感を感じ、専業主婦で仕事をしていないという後ろめたさを感じていました。(それはそれは根強くそう思っておりました。今はだいぶほぐれましたけど)
でも、今どうするか迷っているということは私が決めるチャンスがあるということでもあり、舵取りを始めるチャンスだと思うことができました。
私の稼いだお金の使い道は、私が決めよう。
そう決めて申し込んだのでした。
つづく・・・>>>
次回は自己受容ができるようになるために私がメンターコーチの東さんとしてきたことを書いてみたいと思います。